自己紹介
はじめに
ブログ第1回目ということで、自己紹介から始めます 。色々な記事を書いていくうちに、
いつか私という人間に興味を持って読んでくださる方が増えることを夢見ています 。

改めて、芳乃 タイキ(よしの たいき)です。 苗字の「芳乃」は、大好きなゲームのヒロインの苗字(由来はソメイヨシノ)から拝借しました 。昔から桜が好きだったこともあり、ネットの世界に染まってから10年以上、ずっとこの名前を使い続けています 。
生まれ〜小学生編
1993年10月4日、広島で生まれました 。1998年には正道会館で空手を始めています 。小学生の頃の記憶を辿ると、空手、アニメ、ゲーム、そして算数が好きだったことばかりを思い出します 。
昔からアニメ作品などに影響されやすいタイプでした 。小学4年生の頃に『キャプテン翼』に憧れてサッカーを始め 、同時期にドラマ『どうぶつのお医者さん』にハマったことで 、獣医を目指して塾に通い始めました 。小学6年生の時点では空手とサッカーは辞めて、塾一本の生活にシフトしています 。
しかし、もともと勉強はあまり得意ではありませんでした 。算数と理科こそ得意だったものの 、国語と社会は壊滅的でした。結果として中学受験には失敗してしまいましたが 、滑り止めの中学校に合格し、進学することに決めました 。
中学生編
中学ではサッカー部に入部しました 。サッカー自体は下手でしたが、空手で培った運動神経のおかげもあり 、ポジションはゴールキーパーとして定着しました 。 学業面では、入学当初こそ学年で真ん中ぐらいの成績でしたが 、中学2年生の時点ではブービー(下から2番目)まで順位が転落してしまいます 。
この中学2年生という時期は、私にとって人生のターニングポイントでした 。 まず、アニメ『ゼロの使い魔』に出会ったことで 、私のオタク人生が幕を開けました 。先述した名前の由来である『D.C. 〜ダ・カーポ〜』の芳乃さくらと出会ったのも 、今は亡き愛犬のチワワ「さくら」を飼い始めたのも、この中学2年生の時でした 。
親は私に賢くなってほしい一心で、小学生の頃から本を読むよう勧めてくれていました 。私は全く本を読まない子供でしたが 、「本ならいくらでも買ってあげる」と常々言われていたことを逆手に取り 、「ライトノベルも本だから買ってほしい」と頼んで大量に買い与えてもらったのです 。 結果、中学3年生から高校1年生にかけての約1年間で、150冊ほどのライトノベルを読み漁ることになりました 。親がラノベを「本」として認めてくれたおかげです 。社会人の平均読書量は月1冊未満というデータもありますが 、私は社会人になった今でも読書習慣が続いています 。そう考えると、ラノベも決して馬鹿にはできません 。現在はビジネス書なども幅広く読んでいます 。
ラノベに没頭する一方で、高校受験についても考えなければなりません 。幸い中高一貫校だったため進学自体は問題ありませんでしたが 、校内には普通科と進学科が設けられていました 。 当時の高校は野球が非常に強く、普通科はいわば「野球部の巣窟」状態です。運動部のノリが苦手だった私は、「進学科へ行く」と決意して親に相談し 、個別指導の塾へ通わせてもらいました 。
一般的な塾は総合成績でクラス分けされますが 、私の成績は理数系が真ん中以上、文系科目が学年ワースト3という極端な状態だったため 、親が個別塾を選んでくれました 。数学・英語・国語の3教科に励んだ甲斐もあり 、成績が中間となり、無事に進学クラスへ合格 。合格を友人に報告すると「今年は定員割れか?」なんて言われましたが 、実際には数人落ちていたので、努力が報われてホッとしました 。
高校生〜浪人時代
高校では帰宅部を選び、バイトも基本禁止だったため 、ひたすら勉強する生活……とはいかず 、今度はニコニコ動画にどっぷりとハマってしまいました 。 毎日23時頃までニコニコ生放送でコメントをしたり 、Skypeで通話しながらゲームに明け暮れる日々 。その結果、成績はまたしてもクラスでブービーまで落ちてしまいました 。
その後も成績が向上することなく大学受験を迎え、もちろん結果は大敗 。滑り止めの大学しか受かりませんでした 。 当時の私は「秋葉原とディズニーが近いから」という理由だけで首都圏への進学しか考えておらず 、一刻も早く大学生活を始めたい一心だったので、滑り止めでもいいと考えていました 。しかし、母親からは「せめて偏差値50以上の大学に行ってほしい」と言われます 。 一方で、私は大好きな『ダ・カーポ』の周年イベントが東京で開催されることを知っており 、何としても関東へ行く必要がありました 。そこで「関東で浪人生活を送るならいいよ」と提案したところ、なぜか父親も了承 。アパートでの一人暮らしをしながら浪人するという、特殊な生活が始まりました 。
普通なら成績が落ちそうな環境ですが、自由に勉強できるスタイルが自分には合っていたようで、むしろ成績は向上しました 。静かな環境では集中できない性分だったのか 、塾以外の時間はゲームセンターで遊びながら勉強していました 。私は待ち時間に勉強するのが一番集中できたのです 。「タイムリミットまでにやらなければならない」というプレッシャーがある方が、私には合っていました 。 こうして何とか偏差値50以上の大学に合格し 、人生の夏休みとも言える大学生活が幕を開けました 。
大学生編
農学部に入学し、無事に大学生活をスタートさせました 。大学1年生は人生第2のターニングポイントだったと感じています 。 運良く趣味や話の合う友人に早い段階で恵まれましたし 、その後の人生に大きく関わる『白猫プロジェクト』にハマったのもこの時期でした 。2014年10月から始めたこのゲームに 、以来大学生活のほとんどを捧げることになります 。
また、人生で初めての彼女ができたのも大学1年生の時でした 。本当に濃い1年でした 。新生活、秋葉原でのオタ活、雀荘での健康麻雀、初カノ、初別れ、白猫、艦これ、ダ・カーポ、生涯の親友との出会い、甲子園、お酒解禁、実況動画投稿…… 。これでも足りないほど多くの経験をしたので、詳細はいつか深くお話しできればと思います 。
ここでお話ししておきたいのは、後の人生にも関わる『白猫プロジェクト(白猫)』と生涯の友人との出会いです 。 ニコニコ動画にハマって以来、私は家の中にいる時間のほとんどをニコニコ生放送(ニコ生)に費やし、コメントを打ち続ける日々を送っていました 。そのおかげでタイピング速度が上がり、ブラインドタッチも習得 。これは後に仕事でも非常に役立つことになったので、結果論ですが良い経験でした 。
白猫にハマってからは、当然のように白猫のニコ生を視聴していました 。人が多い放送はコメントを読まれないことも多いため、いわゆる「過疎配信」ばかりを選び 、登録者数の少ない順で配信を探していました 。そこで生涯の親友となる「あまと一」のリスナー第1号となり 、以来10年以上の付き合いが今も続いています 。ネットで知り合った人と「オフ会」を行い 、ネットの友達から「親友」へと変わっていったのでした 。
大学2年生では、初カノに振られたこともあり、出会いを求めてオタクサークルに入部しました 。1年目の延長のような形で新しい経験もしつつ、大きな変動はない時期でした 。強いて言えばゼミを選んだことくらいでしょうか 。 大学3年生は、勉強、白猫、彼女、そしてスロットにハマった年でした 。基本的には週1で彼女と会い、平日は白猫仲間と朝まで通話するような毎日でした 。
大学4年生も相変わらず、ゼミ、白猫、彼女、スロットの生活でした 。就職活動については、3社受けて内定をいただいた1社に即決したため、あまり話せることはありません 。成績がいまいちだったため先生には心配されていましたが 、春から夏頃に就職が決まると 、驚きと安堵が混ざったような表情をされたのが忘れられません 。
卒論制作は(半分は自業自得ですが)地獄でした 。朝6時に起きて執筆し、9時に大学へ行って教授とのアポや実験、授業をこなし 、フィードバックを受けて修正し、またチェックを受ける…… 。そして20時頃に帰宅し、深夜3時まで白猫をプレイするという、まさにブラック企業並みの生活を送っていました 。 とはいえ大学生活自体は順風満帆で、2人目の彼女とも続いていましたし 、趣味のオタ活も全力 。単位も一つも落とさずストレートで卒業できました 。まさかその後に地獄の社会人生活が待っているとは露知らず、笑顔で卒業式を迎えたのでした 。
地獄の社会人編
卒業後、食品工場に就職しました 。最初の1ヶ月は研修、2ヶ月目からは部署に配属され、独り立ちを目指して2ヶ月間の実地研修が始まりました 。 工場勤務の経験がない方に向けて説明すると 、私の職場は24時間稼働のため、大きく「早番・中番・遅番」に分かれます 。基本的には早番が機械の立ち上げ、中番が休憩回しなどの中継ぎ、遅番が清掃を担当する形です 。
投資、副業、飲み屋編(2018年〜2023年頃)
他の会社に勤めたことがないので比較はできませんが、工場の人間関係は非常に閉鎖的でした 。私の部署では、職場責任者が上層部に気に入られていたこともあり 、かなり我が物顔で振る舞っていました 。 配属早々、私はその責任者からのパワハラに悩まされ、休憩室でひっそり泣くこともありました 。
1年目で限界を感じた私が決意したのは、転職……ではなく「投資」でした 。自分の中に「最低3年は働かなければならない」という固定観念があり、辞められない状況だったのです 。 「なぜ自分はこんな問題から逃げ出せないのか?」と自問自答した結果、「お金がないからだ」という結論に達しました 。そこでちょうど書籍『金持ち父さん 貧乏父さん』に出会い 、安易にも不動産投資の道へと突き進むことになります 。
正直、当時の精神状態は正常ではなかったと自覚しています 。そんな中で導き出した答えが「都内ワンルームマンション投資」でした 。すぐに調べ始め、講習に参加し、社会人2年目にはワンルームを2戸購入 。もちろん資金も知識も乏しく、今振り返ればかなり危うい投資でしたが 、当時の自分を止められる人は周囲にいませんでした 。
色々な苦労や問題に直面しましたが 、幸い今のところ(購入8年目)生活が破綻するような大損失はありません 。ただ、かといって生活が楽になったわけでもありません 。 その後コロナ禍に突入し、政府の後押しもあって世は副業ブームとなりました 。もちろんお金が欲しかった私は、「副業元年」に動画編集者としてスタートを切ります 。Twitterに自己紹介ポートフォリオを公開すると、すぐに1件目の継続案件をゲットできました 。 しかし、当時はセルフマネジメントが苦手で、その1件だけで手一杯 。月2〜3万円の収入から増えることはありませんでした 。
3年ほど編集を続けた後 、収入を増やすために案件を外注化してディレクターを経験したり、新規案件を獲得して一時期は月5万円を達成したりもしました 。しかし、最終的には動画編集の仕事はすべて辞めてしまいました 。 理由は、自分自身が動画編集者に向いていないと常々感じていたからです 。ただ、すぐに辞めてしまうと「単なるダメ人間」になってしまう気がして 、「月5万を達成するまでは続けよう」と心に決めていました 。結果、ストレスで口内炎だらけになり、休みの日はその発散のために副収入以上の出費をしてしまう本末転倒な状態に 。生活が豊かにならないと悟り、辞める決意をしました 。
コロナ禍が落ち着くと、人との繋がりに飢えていたのか、飲み屋巡りにハマりました 。色々な店で常連となり、多くの人と関わりを持つことができました 。30歳が見えてきたことで結婚も考え始め、彼女探しも開始(なお、2人目の彼女とは4年の付き合いの末に別れています) 。
発達障害編(2018年〜2022年頃)
時間は少し遡り、動画編集を辞める前の話です 。 先述の通り、投資や副業をしても生活は好転せず 、精神的な辛さは消えませんでした 。一方で、「投資や副業という希望」があったからこそ耐えられたという側面もあります 。 しかし2021年、ついに限界を迎え、一度休むことを決意しました 。病院を受診したところ、すぐに発達障害の診断書が出て 、1ヶ月ほど会社を休むことになりました(有給を消化したため、休職扱いは受けていません) 。
精神的ストレスの大きな原因は、職場責任者のパワハラと部署内の空気でした 。トラブルが多く、責任者や上司が常にイライラしており、その負の感情が大きな負担となっていました 。 休養中、私は遊びだけでなく「人がイライラする仕組み」についても調べました 。ちなみに私が休んでいる間、後輩も上司のイライラ(トラブル時の強い命令など)が原因で発達障害を発症し、休職に追い込まれてしまいました 。
2人続けて問題が起きたことで、ついにその職場責任者は異動・交代となりました 。私は復帰後、数ヶ月そのまま働き続け、半年後に打診された部署異動の依頼を二つ返事で快諾しました 。一方、後輩は復帰と休みを繰り返した末、最終的に退職してしまいました 。
部署移動編、そしてこれから
部署異動後は、その部署の風土が自分に合っていたこともあり、現在は楽しく働き続けています 。 以前の職場はPCを使いこなせる人が少なくDX化が遅れていましたが 、新しい部署はDX化に力を入れていました 。新しいことにどんどん挑戦する風土も、私には非常にマッチしていました 。
今後、私が実際に直面した問題や楽しかった経験について、このブログに書き記していこうと思います 。気になる点があれば、ぜひコメントをください。優先的に記事にしていきます 。
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